自己紹介!

生け花

私、Suzuhara Tojiと申します。

現在、生け花3流派の資格を取得しておりまして、

具体的には池坊(生花・自由花)・草月流(師範)・遠州流(名號取得)となります。(池坊につきましては母親からの指導でしたので、あえて資格申請はしておりません。)また古流や未生流、安達流などさまざまな流派も現在研究中です。

最近は池坊の立華割稽古 (大島 立容 著)という伝統花型を詳しく解説したの書籍にはまっております。

なぜ私が生け花の道を志したかといえば大学時代の挫折体験にあります。

幼少の頃より母親から半強制的ではありましたが生け花の教育を受けてきました。しかし当時の私はあまり花の世界には馴染めず、父親の影響もあって国際線パイロットを目指すべく大学はパイロット養成学校に入学しました。そこは非常に厳しく苦しいこともたくさんありましたが良い仲間の助けもあり人生の中で最も濃い時間を過ごさせてもらいました。ただ私自身はパイロットという職業の適性が十分ではなく結果的に退学することとなり、当時20代前半ではありましたが深い絶望の中にいました。その後は配送業や書籍の構成の仕事、飲食などさまざまな職業を転々としておりましたが中々一つの仕事に落ち着くことができないでいました。

花に勇気をもらって

何もやる気がおきずに実家でプラプラしていたある日、ふと母親が活けた一輪の椿が目に入りました。何の変哲も無い、茶褐色の陶器に活けられた椿を見て単純に美しいという感情が溢れ出てきました。当時の荒んでいた私にとってその感情自体が驚きで時間を忘れるほど眺めていたことを今でも鮮明に覚えています。生きる目標を失い真っ暗なトンネルの中をずっと走っているかような感覚を常に持っていた私にとってやっと見つけた一筋の光、その日のうちに母親に弟子入りを申し出ました。

生け花は難しいけれど。

それからはほぼ毎日6時間以上花と向き合う日々が続きました。当時は花型を完璧に仕上げようと一本一本の花材の特徴や表情など関係なく力任せに活けていましたのでどこかバランスが悪い。修正を試みようともどこがおかしいか分からない。結果、一杯を行けるのに約6時間以上かかっていました。花材も可哀相に終わりの頃には萎れかけていました。そんな日々が2年ほど続いたある日、いつもと同じように活けていた時分に一本の花材が倒れようのない方向に勝手に傾いていきました。その日もすでに5時間は活け続けていたので疲れもピーク、その花材を修正することなく稽古は終了となりました。しかし翌日に自分の作品を確認してびっくり、驚きました。

完璧だったのです。

瞬間、花に活け方を教えてもらったと実感のような直感が全身を貫きました。そして理解したのです。

独りよがりではなく生け花とは花との対話なのだと。

生け花の道を。

それからは不思議と活けるスピードも上がり作品にも勢いが出てきました。何より活けていてとても気持ちが良いのです。この道で間違いないと実感しました。そして池坊以外の流派も勉強するようになりました。それは様々な流派を作り上げてこられた方々の思いや思想、哲学や感性を含めて自分に取り込んでいかなければ生け花の歴史が自身の核の部分で繋がらないと思ったからです。

この道を進んでいく上でどうしても必要な作業なのです。

今もその作業は続いております。

これから私がこのブログを通して発信していきたいこと

これから私が皆さんに発信していきたいことは今までの生け花の勉強を通して発見した花の未来への可能性や面白さ、そして誰もが気軽に本格的な生け花を楽しめるような生け方の解説です

なるべく簡単に、そして簡潔に発信していきますのでこれから宜しくお願い致します。

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