第3回目にご紹介する人物は清風瓶華(せいふうへいか)二世家元 早川 尚洞先生です。この方は生け花における基本型を否定された人物です。では彼の生け花とは何だったのでしょうか。

肩書き 清風瓶華(せいふうへいか)二世家元
生年月日 1911年6月16日
出生地 大阪府大阪市
先ずは聞き慣れない清風瓶華について紹介していきます。この流派は初代 早川尚洞により1913年、東京で創流しました。当時、清風瓶華の文学的な内容と文人画的な表現は、当時の数寄者(すきしゃ)や上流階級の間に愛好者が多く、趣味的で、専門の指導者の育成はほとんどしていませんでした。
*文人画とは…職業画家ではない文人(知識人)の制作する絵画。絵画技法よりも内容の豊かさに重きを置いたもの。
早川尚洞先生は父親の文人趣味に加えて、近代的な傾向の花を1931年から次々と発表し日本的でありながら自由で、新しく、高いセンスのある作風により現代日本の代表的な生け花作家の一人となられた人物です。

私がなぜ早川尚洞先生をここで取り上げようと思ったのか。それはこの方の生け花に対する考え方が現代にも通ずる新しさを感じるからです。ある雑誌にて息子の早川研一(はやかわ けんいち)先生との対談に如実に現れた彼の考え方をここでご紹介したいと思います。
花を教えるということについて
普段の稽古というのは、植物を使って、美しさというものがどうゆうものかを勉強する。その手立てとして花を使っているというのが私の考え方なんです。だから、形をこういけなきゃならんというんじゃなく、花の美しさをその人がどこに感じたかが一番大切だと思う。私は、家に帰っておいけなさいとは決して言わない。ここで使ったものは、勉強したカスなんだよ、だけどそれを捨てるにはしのびないから、家に帰って好きなようにいけたらいいと言う。いけばなだけをするんじゃなくて、いけばなを通じて、美しさってものを知ってもらうってことが、まず第一の私の考え方なんですね。だから格好から入るんじゃなくて感覚から入るって感じがしているんですよ。
生け花のうつくしさとは
結局、その人の思想というか、美しさというものの感じ方じゃないかと思うんですよ。例えば自然の環境に咲いているその環境がいいというので、その環境的な感覚を盛る人もいる。色がいいというので、その色を自分のものにしていける人がいる。これはこうですよと下手に枠を決めてはいけないという理由はそこにあるんです。花についての見方は千差万別で、見方は違うし、受け取り方が違うんじゃないかと思う。だからその人が正直に受け止めた感動を花にどう生かすかということになると思う。そうゆう意味で、形から入るということになると、1つの花の形、形の美しいものから覚えていくわけね。しかし清風瓶華では、その花の美しさというものはどうしたら生きるのかな、というところからはいる。つまりは、素材にウェートがかかるということになるかもしれませんね。
伝統いけばな、いけばなの古典についての考え方について
文人花は古典とは全然違ったものでしょう。そうゆうものから入っていているので、私はいけ方も知らない。全然約束ごとなどを知らないから古典を語る資格はないと思うね。けれども古典は、土俵が決められているからある意味では難しいかもしれないね。小さい枠の中でどう勝負するかという厳しさがある。親父は文人客が集まって芸談に花咲かせる。そうゆう床に花をいけていた。そんな生活の中で自然とプロ化しちゃったんじゃないかな。はじめはプロになるつもりはなかったのが、教えてくれとか言われてそうゆうふうになったんでしょう。そうゆう意味で、清風瓶華はシステム化されていない素人っぽい流派なんだよ。
早川尚洞先生にとってのいけばなとは
感情を、自分の感情を叫ぶことだよ。花だってそうしてるよ。
コメント
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